本と映画の埋草ブログ

本と映画についてあまり有意義ではない文章を書きます

破滅型漫才師をクールな作家が描く。「天才伝説 横山やすし」

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「天才伝説 横山やすし
小林信彦
文春文庫
2001年1月10日初版発行

初出「週刊文春」1997年5月1日・8日合併号~1月6日号
単行本1998年1月 文藝春秋

 作家小林信彦には芸人に関する著作が幾つかある。あまりに有名な「日本の喜劇人」(1972年)のほか、
 1992年「植木等藤山寛美 喜劇人とその時代」のち伊東四朗の記述を加え、文庫本「喜劇人に花束を」
 1998年「天才伝説 横山やすし
 2000年「おかしな男 渥美清
 2003年「名人 志ん生、そして志ん朝

 さて、「天才伝説 横山やすし」は小林信彦原作の映画「唐獅子株式会社」映画化の話がメインとなる。
 ギャグ小説「唐獅子株式会社」映画化にあたり、横山やすしを主演にするため、小林信彦自らが動いた、という経緯がこの本で語られる。
 小林信彦はより深く、必要以上に横山やすしと関わることとなる。

 小林は芸人の姿を作品に残す場合、とてもドライに描写するのが特徴。書き方がちょっと冷徹過ぎるのでは、と心配になってしまうほど。
 そんなシャイな東京人の小林信彦とは、まるで水と油のような印象なのが、横山やすしである。
 なので、非常にスリリングな描写が連続する。

 横山やすしはご存知の通り、酒と暴力によって自滅してしまった芸人だが、小林は、もしかするとそうならなかったかもしれない「もうひとつの理想的な芸人人生」のようなものを考えている。映画「唐獅子株式会社」が大ヒットしてシリーズ化していれば、あるいは横山やすしは……。1983年公開の映画「唐獅子株式会社」は興行的に成功したとはいえない成績だった。
 小林信彦の書く文章であるから、この「もしも」は直接的に書かれているわけではないが、その思いが小林にあり、少なくとも映画「唐獅子株式会社」主役に引っ張り上げた自覚が、この本を書く動機となっていたようだ。
 「目覚めの悪さ」というふうに小林自身が言及している。

 基本的に小林の描く芸人に関する本は、小林自身の視点、体験を元にしているので、芸人の評伝とか伝記というより、小林の私小説に近いものになっている。なので、この「天才伝説 横山やすし」もまるで私小説のようだ。
 「唐獅子株式会社」映画化がどんどん進んで行くあたりの描写は具体的で迫力がある。
 曽根中生監督、プロデューサー、脚本家笠原和夫、吉本の関係者などが実名で登場する。

 映画はずいぶん前に多分ビデオで見ている。原作とはまったくテイストの違うコメディだった記憶で、詳細は覚えていない。原作は乾いたギャグの数珠繋ぎの洒落たもので、確かにあのままでは映画にならないタイプの小説と感じていた。
 なにせヤクザの親分が流行りものに弱く、突如出版を始めたり放送を始めたりスター・ウォーズを始めたりするパロディ小説で、人情喜劇的なものとは真逆にあるような話なのだ。

 それにしても巻末の年表によれば横山やすしが亡くなったのは51歳の時であり(現在の私よりもはるかに年下であるのが衝撃的だ!)、活躍の期間があまりに短い。飲酒運転で事故を起こし吉本興業を解雇されたのは45歳のころである。そしていわゆる漫才ブームだった1980年ころ、横山やすしは35歳くらいだったのだなあ。

 

アリー my love_メモ◎010「無慈悲な天使」[Boy To The World]

 華やかなクリスマスの準備シーズン、という中、今回はシリアス路線。

 アリーは、判事ウィッパーから、売春で捕まったステファニーの弁護をするように頼まれる。
 未成年のステファニーは本名スティーブンで、男だった。というわけで、性的マイノリティLGBTを扱うお話。
 現代アメリカでセックスコメディをやっている以上、避けて通れない題材だが、今回のアリーはこれを悲劇的に扱った。

 さて、ステファニーはオハイオの田舎から出てきて他に生活費を得る手段が無かったことから街角に立っていたわけで、アリーが話しかけると素直な善い子であった。そして服を作る才能があった。
 逮捕を免れるために、戦略的に精神障害を主張することにするアリー。ステファニーは自分は異常者ではないとぶつかるが、仕方なくアリーの意見を受け入れる。ウィッパーの計らいもあり、逮捕は猶予される。
 きちんとした仕事に就くということが猶予の条件として提示され、アリーは社長のフィッシュに頼み、ステファニーを事務所で雇用してもらうことに。

 さて、同時に語られるのはフィッシュの叔父の死にまつわるエピソード。
 フィッシュにとって死んだ叔父は父親のような存在で、こだわりを持って弔辞を読みたいとのこと。叔父は相当な変わり者であったらしく、そのひとつが背の低い人への偏見。
 そんなわけでフィッシュは弔辞で、叔父が背の低い人を嫌っていたエピソードを笑いと共に紹介したいと主張。しかし教会は、そのような差別的な話をすることは認められないとして裁判所に禁止命令を求めたのだ。
 はたして「偏見を持つ自由」は有りか無しか、という論争が繰り広げられる。偏見を認めないのは検閲となるのか。人種や信条ではなく、身体的特徴への差別は、許されるのか。
 結局、裁判所はフィッシュへの自由な発言の権利を認め、フィッシュの弔辞に続き、なぜかゴスペル隊が「背の低い人への偏見」を高らかに歌い上げるのであった。
 歌のシーンは圧巻だった。

 さて、ステファニーは、アリーの努力の甲斐あって、順調に立ち直りの道を歩み始めたかに見えたのだが、ラストで事件に巻き込まれ悲劇的展開となり、シリアスにこの回は幕を閉じる。ヴォンダ・シェパードの歌うクリスマスソングをバックに、雪の中、叔父の墓参りをするフィッシュの姿が切ない。

 といったわけで、しみじみ流れるクリスマスのスタンダードソングは「Let It Snow」で、映画「ダイ・ハード」で使用されていることでも知られている曲。「ダイ・ハード」で掛かるのはヴォーン・モンローという歌手のバージョンであるとのこと。
 ではフランク・シナトラのバージョンをどうぞ!

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アリー my love_メモ◎009「ダーティ・ジョーク」[The Dirty Joke]

 冒頭、「何がジェーンに起ったか?」(1962年)を見て恐怖におののくアリーの姿。
 というわけで、レネと映画の話になり、アリーは高校時代「最もジュリー・アンドリュースみたいになりそうな女」に選出された過去を告白。
 最もジュリー・アンドリュースみたいになりそうな女? というのは、お高くとまり、スカしてる、という意味らしい。なんというジュリー・アンドリュースに対するヒドイ評価!

 そんなわけで、そんな優等生キャラのアリーには、大人な「ダーティ・ジョーク」は似合わない、と皆んなに虐められる、という一席。

 もう一つのお話は、「ケイジ&フィッシュ法律事務所」内のセクハラ騒動。
 前回は、若くて健康的で(巨乳の)美しいアルバイトの女の子の存在が職場環境を不適切なものにしている、と秘書エレインが主張する、というドタバタだったのだが、今回はなんと、逆にそのアルバイの女性が会社を訴えるという事件が発生。セクシーであるという理由で職場の女性たちから嫌がらせを受けたというのだ。
 その訴えの代理人は、前回エレインと組んでいた怖い女性弁護士キャロライン(サンドラ・バーンハード)である。
 一方、金髪美女ジョージア(アリーの元恋人の奥さん)は、このキャロラインの私を見つめる瞳が異常であると主張。レズビアンに違いない、と。なにがなんだかわからない。

 ラスト、若さ溢れ出る健康的セクシーアルバイトから訴えられた事務所代表フィッシュが、素直にアルバイトの女性に謝罪するシーンが爽やか。
 フィッシュ、いい奴じゃん!

 さて、お堅いジュリー・アンドリュースみたいなアリーには「ダーティ・ジョーク」は無理、とさんざん周りから言われたため、アリーはいつものバーでジョークを披露するハメになる。
 今や性差別は解消されつつある、しかし、卑猥なジョークを女性が言うのはタブーとの風潮があり、つまりダーティ・ジョークは性差別の残っているジャンルであり、そこに風穴をあけるべく、アリーは「蚤のジョーク」を披露。

 フロリダにいる〈蚤A〉と〈蚤B〉の会話。〈蚤B〉がブルブル寒さに震えている。ニュージャージーから大型バイク乗りの男の口ひげの中に潜って、ここにたどり着いたのだという。〈蚤A〉は〈蚤B〉にアドバイスする。「いいかい、暖かくここへたどり着くには、まず空港のバーへ行き、フロリダ行きの便に乗るキャビンアテンダントのオネエちゃんを見つけるのさ。その彼女の足元から上へ登って行くと、暖かくて柔らかい場所にたどり着く。わかるだろ。そこで一晩過ごすと、暖かいままフロリダに到着ってわけさ」
 しかし、翌年、フロリダで再会した〈蚤A〉と〈蚤B〉だが、やはり〈蚤B〉はブルブル寒さに震えていた。「なんだい、俺のアドバイスどおりにしなかったのかい」
 〈蚤B〉は、いきさつを話す。「アドバイスどおり俺は空港のバーでフロリダ便のキャビンアテンダントを見つけ、彼女の暖かくて柔らかい場所に無事たどり着いたさ。ところがそこでゆっくり眠っているうち、どうしたわけか翌朝、大型バイク乗りの口ひげの中に逆戻りさ!」

 ジュリー・アンドリュースみたいな見てくれなのに、なんて下品な、という感じで、バーには微妙な空気が流れ、アリーのジョークは滑りまくってまるでウケないのだった。

 

アリー my love_メモ◎008「友達以上恋人未満」[Drawing The Lines]

 冒頭、アリーとジョージアがふざけてコーヒーを非常にエロティックに飲むのだが、それはズバリ、セックスのメタファー!
 ドラマ「アリー my love」はアケスケなセックスコメディっぷりがウリなのだ。それをビリー(アリーの幼馴染みで元恋人、現在ジョージアの夫)がガン見。

 この回の原題[Drawing The Lines]は「線を描く」と訳すのだろうか。友達と恋人の〈一線〉を描く、という意味なのだろう。
 アリーのセクシーなコーヒーの飲み方を見て、ビリーはアリーへのかつての恋心を思い出してしまう。二人はこの後、きちんと線を引けるのだろうか、ということで……。

 さて、第6話目から「ケイジ&フィッシュ法律事務所」では若くて胸の大きなアルバイトの女の子が溌剌と登場しており、社長のフィッシュやビリーが彼女の姿を見るたびにうっとりしているというギャグが繰り返されてきた。今回、ついにその件が問題となる。
 その有様を、秘書エレインが訴えることにしたのだ。
 アルバイトの女の子は不適切な職場環境を作り出している存在であり、事務所で働く女性社員に対する賠償を会社に求めるとし、さらに彼女には辞めてもらわねばならない、と主張。エレインは弁護士キャロライン・プープを雇い、事務所と戦うことになる。

 さて、エレインが雇う怖い女性弁護士キャロライン・プープを演じるのはサンドラ・バーンハードという女優で、マーチン・スコセッシ監督「キング・オブ・コメディ(1982年)」でストーカーの女性を演じていた人。一度見たら忘れられない強烈な個性! この女性、唇がミック・ジャガーっぽくて、ヤバイ。

 ところでエレインが若い女の子に対し訴訟騒ぎを起こすのは、彼女が常に注目を浴びていたいタイプのキャラクターだということで、アリーはエレインに向かい「あなたを見ていると、気の毒っていうか、寂しい人なのかな、って思っちゃう」と告げる。それを聞くエレインの哀しい表情がなんともいえない。ま、そんなことを現実に言われたら、大変に悲しい。その後も、エレインはお調子者で哀しいエピソードを様々披露するキャラクターとなる。

 この回のアリーの仕事は離婚訴訟である。
 お金持ちの夫と別れることとなった奥さん側の代理人として、旦那さんと交渉することになる。アリーとジョージアはチームを組んで奥さんの権利を正々堂々と主張してゆくのだが、この件でフィッシュは探偵を雇い、独自に旦那の浮気証拠写真を入手する。
 結局、交渉(というのは、平たく言えば、入手する金額を吊り上げるということ)を有利に進めるため、相手をゆする真似をすることになる。そんなわけで、ある〈一線〉を越えさせられたと怒るアリー。汚れ仕事をさせられたことで、アリーとジョージアはフィッシュと対立。

 エレインたち事務の女性スタッフからはセクハラで訴えられ、弁護士のアリーたちは事務所の方針に異を唱える。万事休すの社長フィッシュはスタッフたちの前で意見を述べる。「楽しい職場を作りたかっただけなのに」。
 フィッシュとしては待遇も他より良くして、スタッフたちはみんな楽しく働いていると思っていたのだ。うーん、経営者はつらいよ。
 フィッシュの本音は「楽しい職場を作りたかっただけなんだ。楽しいのが好きなんだ」というわけで、アリーが言う。「じゃ、パーティーをしましょう!」
 と、「アリー my love」の歌姫ヴォンダ・シェパードが歌うのが「It's My Party」という曲。レズリー・ゴアという方の歌う1963年の大ヒット曲。日本でのタイトルは「涙のバースデイ・パーティ」で、園まりや中尾ミエが同年の1963年にカバーしている。プロデューサーはクインシー・ジョーンズだという。

 

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アリー my love_メモ◎007「魔性の女」[The Attitude]

 この回は、まず1つ目、ルームメイトのレネの機転で、アリーはイケメン検事ジェイソン氏とデートをすることになる。

 2つ目、ユダヤ教のラビと交渉をするという仕事がアリーに舞い込む。
 夫が植物人間になってしまった奥さんからの依頼で、法的には離婚が成立しているのだが宗教的には教会の承認が必要で、信者としてはそれがないと再婚できないとのこと。そのためアリーはユダヤの教会へ赴くのだが、ラビが堅物で交渉が決裂。アリーはつい、ユダヤ教に対する暴言を吐いてしまう。

 そして3つ目、アリーの元恋人ビリーの奥さんのジョージアは、別の事務所で弁護士をしているが、その事務所で彼女は突如、訴訟部門から他の部署への移動を命じられる。その原因はジョージアが美人であるから、というものだった。事務所社長の奥さんが嫉妬しているとのことで、それが部署移動の理由であるとのこと。

 という3つのエピソードが並行して描かれる。

 まず、イケメン検事とのデートは、彼のサラダの食べ方がだらしなく、アリーが幻滅するのを音のギャグで表現。可笑しい。
 お堅いユダヤのラビとは会うたびにぶつかってしまうのだが、ラビはなぜかアリーの暴言を気に入ってしまい、交渉はうまくいく。掛け合いの悪態が面白い。

 そして、アリーはサラダの彼にもエレベータで強烈なキスをかまし、さらにラビをデートに誘う。タイトルの「魔性の女」とはアリーのことだったのだ。

 ジョージアの職場の問題は、ジョン・ケイジが交渉することになる。トイレで気合いを入れるジョンの頭の中には鐘の音が鳴り響き、バックには映画「ロッキー」のテーマが流れ、彼はスローモーションで交渉に臨む、というのがバカバカしくて可笑しい。
 この回は、とにかくジョン・ケイジの変人ぶりが際立っており、笑いのすべてを掻っ攫っていく。

 

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 結局、ジョージアはその事務所を辞めることになり、「ケイジ&フィッシュ法律事務所」で働くことになるのだった。
 というわけで、アリーと元恋人ビリーとその奥さんジョージアは同じ事務所で働くこととなった。

 ラストでヴォンダ・シェパードが歌うのは、このドラマ「アリー my love」の主題歌である「Searchin' My Soul 」であり、ここで改めて主題歌をクライマックスに持ってくるというのは、この三角関係ラブコメディの設定が強固なものとなり、フォーマットが完成したのだよ、という宣言なのだろうか。

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アリー my love_メモ◎006「婚約」[The Promise]

 アイスクリーム会社の商標登録のトラブルの裁判。アリーは相手側の太った弁護士ピピン氏と対決する。裁判の後、ピピン氏は突然ぶっ倒れ、アリーのマウス・トゥ・マウスの人工呼吸で一命を取り留める。
 ピピン氏は間も無く幼馴染との結婚式を控えていた。ピピン氏の彼女がアリーの元に訪れ、お礼を述べる。
 お相手の彼女もピピン氏と同じく太った女性だった。

 元気になったピピン氏もアリーの元を訪れる。彼はアリーへの恋心を告白。人工呼吸のキスが忘れられない、婚約を破棄する、と言う。そもそも婚約者の彼女とは友達同士であり、お互いに太っていて、ほかに選択肢が無いだけで、トキメク相手では無いという。
 驚いたアリーは、もちろん婚約者の彼女と結婚した方が良いと忠告。しかし、一方で、運命の人との出会いを夢見ているロマンチックなアリーなのだから、結婚式のときに隣にいるのは絶対にトキメク相手でなければならないという信条なのであり、妥協して彼女と結婚した方が良いという現実的で偽りのアドバイスができない。
 そんな経緯で、アリーはピピン氏の彼女に恨みを買ってしまう。

 さて、この回の裁判は売春婦の弁護という事件。
 アリーは事務所の変人弁護士ジョン・ケイジと共に、この裁判に挑むことになる。
 ジョン・ケイジ氏はこのドラマ2度目の登場で、ついに彼の弁護士としての活躍を見ることのできる。アリーはジョンと組むのは初めてなので、二人の間の空気が微妙なのが初々しい。

 さて、二人が弁護するのは元弁護士だというインテリのコールガール。
 この女性は、男女が一生を愛という名のもとに添い遂げるのは不可能であり、そんなことは現実的ではないと悟り、この商売を始めたのだと言う。ジョン・ケイジはその主張を推し進め、たっぷりの間をとって「偽善ほど嫌なものはない」と説く。金目当てで結婚しても罪にはならない。女性の性には商品価値がある。性を武器にして生きている女性がいるのは現実である。
 もちろん売春は法律違反であり、ジョン・ケイジの弁論は詭弁なのだが、なんと裁判に勝ってしまう。

 アリーは売春婦を弁護する立場であったが、勝利した後、落ち込むことになる。商売女を自立した女性みたいにいうのはおかしい、と。恋愛はロマンチックでなければならない、とアリーは信じたいのだ。
 裁判では現実に目を向け、偽善を攻撃したジョン・ケイジがアリーに言葉をかける。「ロマンチックな人種は、今も存在する。世間に負けるな、アリー・マクビール」と。

 しかし、その後、太っているピピン氏には、現実を見つめ、予定通り太った彼女と結婚したほうが良いと、アリーはアドバイスをしたのだった。
 彼らの結婚式に参加する複雑な表情のアリーの姿がラストシーン。美しくきらめくライスシャワーのバックに掛かるののは「I only wanna be with you」という曲。

 この回の途中のバーのシーンで「アリー my love」の歌姫ヴォンダ・シェパードがギターを弾きながらロックなバージョンを歌うのもチラリと流れるのだが、ラストに掛かるのはよりエモーショナルなバラードバージョン。
 この曲は、1963年、ダスティ・スプリングフィールドという方の代表曲であるとのこと。邦題は「二人だけのデート」。

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 あのベイ・シティ・ローラーズも1976年にカバーしている。さらに同じ1976年、ピンク・レディーまでもがカバー。

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 この回は傑作。アリー個人に起こるドタバタと裁判がスピーディーに展開し、音楽も素晴らしく、面白くて切ない。これぞ「アリー my love」!
 よく見ると、ラストの感動的なピピン氏の結婚式シーンは「I only wanna be with you」の曲が流れる1分にも満たない長さ。この素晴らしいシーンのためだけに、ロケ地を押さえ、エキストラを集め、衣装を用意し、紙吹雪が舞って撮影されたのだと分かる。こういうアメリカのテレビドラマの〈手を抜かなさ〉とお金の使い方は、本当に凄い。

 

萩尾望都作品ベスト短編集といってもよい「10月の少女たち」

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萩尾望都
小学館文庫
2012年10月18日初版発行
657円+税

 短編漫画の傑作を数多く生み出している萩尾望都先生なので、短編集が数多く出版されている。なかでも小学館からは、文庫という形でたくさん出ている。
 「10月の少女たち」も、そんな一冊。
 この本は2012年という、比較的最近になって編まれた短編集であるから、絶版になって手軽に読めなくなっていた「精霊狩り」シリーズ3作、SFの傑作「あそび玉」などを収録しようというのが、その主眼だったのではないか。
 そのためか、収められた作品の発表年はバラバラ(1971年~1984年)で、ジャンルもバラエティに富んだ作品集である、といえば聞こえは良いが、悪くいえば、統一感が無く、どうかすると「寄せ集め」なのか、と思えるほどだが、しかし名作揃いなのですよ。
 しかも、巻末の解説が吾妻ひでお先生!

 最初が表題作「10月の少女たち」(1971年)。3作のオムニバスで「COM」に載ったもの。私がこの短編を最初に読んだのは、SFマンガの傑作「11人いる!」が初めて単行本として出版された小学館文庫「11人いる!」(1976年7月刊行)の巻末に掲載されていたから。大人しい文学少女が、がさつな男の子と同居する羽目になる日本を舞台にした「その2 真知子」が好き!
 「みつくにの娘」(1971年)は萩尾作品では珍しい日本の民話もの。
 その後に「精霊狩り」(1971年)「ドアの中のわたしの息子」(1972年)「みんなでお茶を」(1974年)の「精霊狩り」シリーズ3作。
 このシリーズは大好きで、特に「みんなでお茶を」は最高。楽しいしサスペンスだしお話に深みもある。個人的に萩尾作品のベストではないかと密かに思っている。余談だが、2021年の話題の書「一度きりの大泉の話」によれば、「精霊狩り」シリーズにはさらに続編の構想もあったのだが、竹宮先生とのトラブルの後遺症で(このシリーズの主要キャラクターのモデルが竹宮先生と増山さんであるため)描けなくなってしまったとのことで、大変に残念であり、日本文化にとって大いなる損失であると思う。
 それはさておき、続いて「千本めのピン」(1973年)は童話風というか絵本風というか。
 「プシキャット・プシキャット」(1974年)はたった4ページの猫がいっぱい出てくるコメディ。
 「赤ッ毛のいとこ」(1976年)は10回におよぶ明るい学園コメディの連作で、ラストはホロっとさせる。
 萩尾作品に繰り返し表れるテーマである、追憶に捕われる人生を描く「花と光の中」(1976年)。この頃の絵は本当に華麗だな!
 そして、元原稿が失われてしまったSFの名作「あそび玉」(1972年)。
 心理サスペンス「影のない森」(1977年)。
 そして、ひとりの女性と二人の男の青春と友情と愛と再生を描く傑作「十年目の毬絵」(1977年)。これが数えてみるとわずか16ページだというのに驚く。
 萩尾先生のマンガ制作裏話「デクノボウ」(1983年)。いわゆるエッセーマンガである。
 SF幻想ショートマンガ2編「砂漠の幻影」「神殿の少女」(1984年)。
 ラスト収録は、アメリカンコミックスタイルの左開き「月蝕」(1979年)。絵が凄い。

 そして、巻末には、萩尾先生をライバルであると宣言する吾妻ひでお先生の萩尾論が炸裂。お二人は同級生で、デビュー時期もほぼ同じで、SF好きなどの共通点が多いとのことで、合作(「愛のコスモ・アミタイツ・ゾーン」と「愛のネリマ・サルマタケ・ゾーン」)した際のエピソードなどもあって、楽しい解説である。
 そんなわけだから「10月の少女たち」は総合的に考えて、ベスト短編集といってもよいのではないか。