本と映画の埋草ブログ

本と映画についてあまり有意義ではない文章を書きます

日本で一番素晴らしい青春映画といえば、やっぱり「の・ようなもの 」

 一番好きな日本映画は何ですか、と問われた際、なんと答えるべきか。全然、誰にも聞かれないが、実は答えを用意してある。
 1981年公開の森田芳光監督の商業デビュー作「の・ようなもの」だ。

 洋画なら「フェーム」なのだが、この2本は似ている。
 どちらも青春映画で、まとまった物語が無く、エピソードの羅列で構成されている。

 「の・ようなもの」のお話とは、若手落語家がトルコ嬢(現在は使われない言葉だが、この映画の中ではこちらの呼称が使用されている)と付き合ったり、女子高生と付き合ったりするという、なんとなくの日常を描くというもの。
 落語家仲間がソープランドへ行く金をカンパしてくれたり、一緒に銭湯へ行ったり、そばを食べたり、先輩落語家の真打昇進の宴会をやったり、という物語である。
 途中、団地専門の小さなケーブルテレビ局が、主人公たち若手落語家を大いに取り上げ、地域を盛り上げるという流れがあるので、それが成功への道のりへ続いていく……、と当然期待させる展開なのだが、映画は別にそんなことを描かない。
 主人公がソープ嬢と女子高生、同時に付き合うので、三角関係の葛藤が……、という流れなのだが、そういった人間ドラマは追求されない。いわゆるドラマチックな展開には、一切ならない。
 冒頭から単なるギャグの羅列。変な演出、変なSE(背景の音)で、オフビートな笑いが展開。主人公演じる伊藤克信をはじめ、台詞回しの下手な人と、とても上手な人が入り混じり、エキストラの出のタイミングが狂っていたり、意味不明なギャグが突然出てきたり、かなりカオスな状況が続く。

 封切り時、入場料金も、ちょっと変わっていた。
 この映画を公開するすべての劇場がそうだったのか記憶が曖昧だが、入場料金は995円だった。1,000円出すとおつりに5円貰えて「ご縁がありますように」なんてふうなシステムになっていた。駄洒落である。すべて「洒落」ていたのだ。そもそも落語などというものは、洒落が集まったようなものであります、なんていうからか。
 80年代初頭、それまでにはなかった温度の映画で、コメディにしてはアクがなく、真面目な映画としてはふざけすぎている。
 どう受け止めてよいのか。

 さて、以下に監督・森田芳光のインタビュー等の資料から、簡単に「の・ようなもの 」誕生の経緯を記す。
 時代はちょっと遡って1978年。森田芳光は大きく注目されていた。8mm映画「ライブイン茅ヶ崎」が、自主映画としては大ヒットを記録したからだ。「ライブイン茅ヶ崎」という映画は、片岡義男が絶賛し、わざわざ角川春樹に見せるために試写を行なったという伝説の8mm映画。
 ちなみに、この映画のポスターを描いたのは、漫画家の大友克洋
 大友克洋が世間的に脚光を浴びるのは、1979年に初めての単行本「ショート・ピース」を出してからだから、このポスターは、それ以前。つまり無名時代の大友克洋の仕事ということになる。

 さて、77年には自主映画出身の大林宣彦が「HOUSE」で、さらに78年には大森一樹が「オレンジロード急行」で商業デビュー。つまり自主映画出身者が、大きく注目を集めていた時代だった。

 1981年に映画「の・ようなもの」が公開されたとき、森田芳光は31歳だった。
 20歳代を定職に付かず、自主映画の騎手として過ごしていた森田芳光は、35mm映画を撮らなければならないと考えていた。8mm映画「ライブイン茅ヶ崎」を見た角川春樹に「これでは商売にはならない」と一蹴されたからだ。8mmではビジネスにならないと思い知った森田はシナリオを書き、資金を集め、日本へラルドを訪れる。
 企画書を持った彼は、製作資金はあります、だからお金は必要ない、この企画の映画を配給してくれ、と頼む。
 ヘラルド配給という冠をもらった映画「の・ようなもの」のキャスティングに臨むにあたり、俳優のマネージャーが訪ねてくる事務所は立派でなくてはならないと考えた森田は、渋谷に事務所を借りた。スタッフを雇う際も、馬鹿にされないようにと考えた。失敗できない。
 「の・ようなもの」は、クレジット的には秋吉久美子が主演。1981年というと、秋吉久美子はまだ27歳だが、1972年にデビューして、多くの映画・テレビで主演を務めた彼女は、すでに大女優だった。
 立派な事務所とすでに配給が決まっていたことが功を奏したのか、秋吉久美子は出演を承諾。
 その秋吉久美子のギャラを、マネージャーと決めたのも森田自身。スタッフのギャラも交渉した。何でもやった。
 商業デビュー作であり、勝負の作品だ。製作費は自分で集めたという。当初予定の3,300万円の製作費をオーバーし、4,000万円で完成。

 しかし、初めての35mmの現場は大混乱だったという。
 記録の人と録音の人など、スタッフが毎日喧嘩。
 キネマ旬報社モリタ本「思い出の森田芳光」によると「今考えると喧嘩してんの当たり前だよ。おれの言うこと全部間違ってんだもん」と森田は当時を振り返る。
 「この映画はノーパン映画です」などとふざけて宣伝していた森田だが、パン(カメラを横に振って撮影すること)しないで、固定撮影にしたのは、現場経験の無い監督であっても、自分で画を確認しながら撮影できるからでもあったようだ。
 後がないと感じ、ある種、悲壮な決意で撮影していた「の・ようなもの」、現場は大いに混乱し、編集ラッシュでは、学芸会やってんじゃねえ、と憮然としたスタッフが帰ってしまったことさえあったという。
 映画の主演をやるなど夢にも思ってなかったろう伊藤克信でさえ、シナリオを読んで「監督、こんなのが映画になるのですか」と聞いたという。
 ところが、完成した映画は、そんな切羽詰まった様子が一切見えない。逆に楽しい撮影現場だったのだろうなあ、とさえ感じさせる、不思議な透明感のある映画になった。
 時代のせいなのだろうか。森田芳光の体質のせいなのではないだろうか。
 「の・ようなもの」製作費の借金は、1985年の森田監督映画「それから」が完成するころまで、払い続けられたという。

 これがデビューの伊藤克信は別として、秋吉久美子が超絶的にチャーミング。そして、尾藤イサオが素晴らしい。
 ほか、今見ると、そうそうたるキャストに驚く。でんでんなど、いまや日本のドラマに欠かせない名脇役となっている。
 人間ってみんな面白いね、ってのがテーマだろうし、そういう台詞もある。
ラスト近く、無音の中で、落語をやる志ん魚、車で去っていくエリザベスの車などが、宴会とカットバックするあたりの哀しさは、いったい何なのだろう。
 何度も見ているが、やっぱりワケが分からない。

1981年:日本
公開:1981年9月12日
上映時間:103分
配給:ヘラルド

監督:森田芳光
製作:鈴木光
企画:鈴木光、森田芳光
脚本:森田芳光
撮影:渡部眞
美術:増島季美代、伊藤羽
編集:川島章正
音楽:塩村宰
助監督:山本厚、佐藤睦夫、杉山泰一

出演:伊藤克信、尾藤イサオ秋吉久美子、麻生えりか、小林まさひろ、大野貴保、でんでん、芹沢博文加藤治子鷲尾真知子小堺一機ラビット関根内海桂子・好江、三遊亭楽太郎入船亭扇橋春風亭柳朝室井滋永井豪 ほか