小林信彦のコラム1998年「人生は五十一から」
「人生は五十一から」
小林信彦
文春文庫
2002年4月10日初版発行
初出誌 週刊文春
単行本 1999年6月
2021年7月、いつものように地元の図書館で「週刊文春」最新号を読んでいたら、小林信彦のコラムが最終回とあり、驚いた。
よく考えれば小林氏は高齢だし、数年前に脳梗塞で長く入院されていたし、連載終了は納得できるのだが、週刊文春を開くと小林信彦のコラムが載っているというのが当たり前だと思っていたので、かなり寂しい気持ちになった。
そういえば先日、いつものように筒井康隆のネット日記「笑犬楼大通り」を読んでいたら、その日記を止めるつもりだ、と書いてあった。筒井氏と小林氏は同年代の作家であり、仕事を減らすのも仕方ないことだが、どんどん私の楽しみが減っていくようで、寂しい限り。いつまでもあると思うな……、というものなのだなあ。
そんななか、古本屋で文庫「人生は五十一から」を見つけ、購入。週刊文春にコラムを新連載した際の最初の本を文庫化したものだ。1998年の1月から12月までの分が収録されている。
なんとこの年は〈長野オリンピック〉の年であり、それに言及している部分が、まるで2021年の〈東京オリンピック〉みたいで面白い。
「長野オリンピックはスキャンダルまみれであり~」とあり、オリンピックというものは、ずっとそういうものであったのだなあと再認識。開会式、閉会式にもふれており、「開会式とか閉会式といったセレモニーは、世界に中継される限り、ショウとしての構成がしっかりしていなければならない。これがまた、日本人のもっとも不得意なところである。不得意というよりも、感覚的に欠如している部分かもしれない」と書かれていて、それを読みながら、ああ、そういえば〈伊藤みどりのけったいな衣装〉〈サンタクロースに化けたベンジャミン伊東〉みたいな欽ちゃん、といったものを思い出した。小林信彦は、彼らキャストを〈ただ気の毒〉と述べている。確かに2021年の東京オリンピックでの東京スカパラや大竹しのぶは〈気の毒〉に感じた。
といったわけで、1998年、小林信彦は六十代半ばという年齢。20年以上も前になる。
1998年とは、いかなる年であったのか。
「人生は五十一から」によれば、橋本政権からオブチ政権に変わり、不況で、サッカーのワールドカップフランス大会に日本が初出場で不気味なくらいの盛り上がりになり、黒澤明が亡くなった年である。
あとがきに「コラムというのか、エッセイというのか、そういうものを週刊誌に連載するのは初めてなので~」なんて、小林信彦にしては殊勝なことを書いている。連載一年目だからか、内容的に小林氏なりのサービスが感じられる。
たとえば、「日本の喜劇人ベスト10」なんていう回がある。それによれば、この時点で小林信彦の記した喜劇人10人は、榎本健一、古川緑波、横山エンタツ、益田喜頓、森繁久弥、三木のり平、フランキー堺、植木等、藤山寛美、渥美清。ちなみに、2021年5月発行の「決定版 日本の喜劇人」あとがきに「いま、私流に喜劇人というと~」とあって、そこでは 植木等と由利徹の名を記している。
さらに、岩波新書で「現代〈死後〉ノート」(1997年刊行)という流行語解説本を2冊出した勢い(?)で、「みっともない語」「〈恥語〉ノート」と題し、このころの日本語のアレコレを考える回が複数回あったりする。
最後に、けっこう凄い発言と思ったのは「明治以降の日本文学は、結局、三百くらいある江戸落語の深みに及ばないのではないかという一事だ」というくだり。60年くらい落語を聴いてきて、つい最近、思ったことであるという。古今亭志ん朝の独演会に関する回での記述で、大真面目にそう思って書いているのか、洒落で書いているのかさっぱりわからない大仰さであり、さらりとこんな表現をするあたりが、小林信彦の真骨頂というべきか。