本と映画の埋草ブログ

本と映画についてあまり有意義ではない文章を書きます

埋草日記◎イオンシネマで映画を見た際の、どうでもよい話

旭川駅前のイオンシネマで「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」を見た。昨今のシネコンはすべて指定席制だ。私はたいていの場合、劇場のほぼ真ん中辺に席をとる。真ん中よりもやや前側だと、周囲も空いていて快適。今回もそのような席を予約した。上映時間が迫ってきたので入場し、所定の席を確保。1席空いて左側に男性客がいた。と、若い女性が現れ、その空席を埋める場所にいきなり座った。私の左側隣席である。

コロナ禍以降、劇場運営側は1席ごとに空きを作っていたし、そもそも旭川の映画館はたいていの場合それほど混んでいるわけではないので隣に見知らぬ人がいる状態で映画を見ることはめったに無い。っていうか、この「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」も満席というわけではなく、空いている席は他にたくさんある。つまりこの女性は、隣の席がすでに埋まっているのを知った上でその席を購入したのだ。なぜ? といったわけで、久しぶりに見知らぬ人物が隣に座っている状況での映画鑑賞。気軽に肘掛けに肘も置けない。緊張する。でも、まあいいか、映画が始まったら誰もいない右側に1席ずれれば、両隣が空いた状態を作り出せるのだから、と考えていたのだが、上映直前になってその右側に男女の2人連れが着席。2席分空いているが、私に近い方は女性が席に着いた。そんな状況で、私が女性に近い方へ移動するのは、全席指定という規則の中において、きわめて不適切な行動といえるのではないか。不自然すぎる。「彼と二人で映画を見に行った際、映画が始まって暗くなった途端、近くにいたおじさんが私の方に近づいてきたんです、怖かったです」と思われるのではないかと想像できたので、もはや私は席を移動するというプランを捨てざるを得ない。したがって私は左隣に見知らぬ若い女性を座らせたまま緊張して「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」を観るしかないのだ。

映画が始まった。私が席を予約した際、両隣は確実に空いていた。それは間違いない。私の左隣の若い女性は、右側に既に誰かが席を確保しているのを認識した上で、他に空いている席があるのにもかかわらず、私の左隣の席を購入したのである。これは何を意味するのか。もう、映画鑑賞どころではない。彼女は何を望んでいるのか。彼女は私に気があるのではないか。私の左手を少し動かせば、彼女の右手がある筈だ。手くらい握らねば、彼女に対して失礼なのではないのか。などと、この時点で冷静な判断が出来ないような思考に陥っていたのだが、幸いにして「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」が面白かったので、だんだん映画に集中でき、不適切な行動をとらずに済んだ。ああ、よかった。助かった。ありがとう、ジェームズ・ガン