本と映画の埋草ブログ

本と映画についてあまり有意義ではない文章を書きます

埋草日記◎北海道新聞の夕刊が休刊でビックリ

ここ旭川で、「新聞」といえば「北海道新聞」を指す。

「昨日の新聞の一面でも記事になってましたもんね」と、いえば、その一般名詞「新聞」は「北海道新聞」のことであり、そのほかの新聞を指す場合は、例えば「読売新聞」であるとか「東京スポーツ」であるとか、固有名詞で説明しないといけない。

それくらい「北海道新聞」は圧倒的な支持を得ているのだが、9月1日の朝刊に9月末で「夕刊を休刊とする」との告知が載っていて吃驚した。

しかし、冷静に考えれば、そんなことは当たり前の流れであって、驚くに値しない。

ちなみに私は朝刊のみしか取っていないので、まったく影響がない。なぜ朝刊のみかといえば、料金を安く済ませようというほかにも理由があり、それは私の住む地域は僻地であり、夕刊の配達が無いからだ。夕刊を希望しても、届くのは翌日の朝刊とセットなのである。

宅配の輸送コストというのは非常に大きいのだと思う。さらに奥の地域だと朝刊は郵便配達の扱いとなり、届くのは昼に近いという場所もある筈だ。

現在、北海道はJRも地方の路線は次々と廃止となり、バスに代わるという地域も多く、輸送コスト問題は今後、さらに拡大すると思われる。

北海道は広大だなあ♡

この自虐を笑えるか!「喜劇 愛妻物語」

 驚いた。

 タイトルとキャストから、ほのぼのしたホームドラマだと思って見たのだった。若干、違うかもしれないとの予感もあったのだけど、ほぼ何も知らずに、「感」で借りたDVD「喜劇 愛妻物語」。

 

 売れない脚本家と、それを支えるパート従業員の妻、5歳の娘。モノになりそうな映画化シナリオ執筆のため、香川へ取材旅行に行くこととなった主人公(濱田岳)だが、車の免許が無いために妻(免許所有者・水川あさみ)と子供を連れ、家族旅行を兼ねるというのが、大まかなプロット。とにかく全編にわたり、水川あさみがダメな夫である濱田岳を罵倒し続け、見ている方も、あまりにダメな濱田岳の体たらくに、それも仕方ないかもしれないなあ、と思いつつ、延々と続く妻からの罵詈雑言に、徐々に気持ちが沈んでいくといった映画であった。

 水川あさみのセリフの強度が凄まじいレベルで、「子供の前でそんな汚い言葉、やめろ」と夫が言うのも理解でき、これほどの悪口を聴き続けるという映画は珍しい。テレビのドラマだとNGレベル! 水川あさみ、よくこんな役を引き受けたなあ、と感心する。

 ストーリーとして、シナリオを完成させるという目的のほか、夫にはもう一つ大きな目標があり、それは少々ご無沙汰な妻とのセックスを完遂するというもので、そういうある種ドメスティックで情けない(だからリアルで見ていられない)目的も相まって、濱田岳が演じるダメ夫の情けなさが凄まじく感じられるのだった。

 

 ここまでのクズ描写には理由がある筈だ。それはおそらく「自虐」であろう。この映画は「自虐ギャグ」をひたすら描いたものなのかも。監督の足立紳氏は脚本のコンテストで名を挙げた方のようである。自分をモデルとして「架空のクズなシナリオライターの家族の物語」を作ったのだと思われる。もしかすると、足立氏の奥様は水川あさみ演じる凄い迫力の(あるいは凄い美人の)奥さんなのかもしれない。そして、映画の情報をネットで引っ張ってみると、実際、原作が「自伝的小説」であるとのこと。

 この映画は、そのような自虐ギャグの連続なのだから、これを見て「引いて」しまうのは、ダメなのかもと思う。笑うのが正解なのであろう。作り手側はこう思っているのだ。「どうだ。このクズっぷりを笑えるか」。ある種、観客に対する挑戦だ。

 なんかすごいな、と思ったが、私は笑って見られたろうか。ちょっと、引いてしまった気がする。この映画を観るにあたり、引くのは、負けだと思う。

 笑って見るべき!

 

喜劇 愛妻物語(2019年)117分

監督:足立紳

脚本:足立紳

原作:足立紳『喜劇 愛妻物語』(幻冬舎文庫

撮影:猪本雅三

出演:濱田岳水川あさみ、新津ちせ、大久保佳代子夏帆光石研 ほか

もっと荒唐無稽だったら傑作?「リボルバー・リリー」

 私は、ある時期から、綾瀬はるか主演のテレビドラマは、ほぼ無条件で観るように心がけている。なぜなら、綾瀬はるかが好きだからだ。しかし、主演「映画」となると、けっこう見逃している。私にはなぜか、綾瀬はるか主演映画って、あまり面白そうに感じないのだ。これは私の独断に過ぎないはずだが、綾瀬はるかは、いわゆる「作品に恵まれていない」のではないか。

 しかし、映画館で「リボルバー・リリー」の予告を初めて見た際、「おお、これは」と興奮。この映画、おれのために作られたのではないか。そんなわけで、イオンシネマへ観に行ったのだけど、逆に不安要素も感じていた。日本のトップ女優とはいえ、わざわざお金を払って「綾瀬はるかのアクション」が見たいという人が、いったいどれくらいいるのだろうか。さらに、この感じ(←大作映画感)の「綾瀬映画」って、面白く出来ているのか大いに心配だ(←作品に恵まれないと感じているから)。

 私は、綾瀬はるかが好きという理由で見に行っているので、どんなことになろうとOKだが、「面白い映画を見にきた人」にとって、この映画の評価は如何なものなのだろうか。といったわけで、私は「リボルバー・リリー」を大いに楽しんだが、この映画には問題があると思う、ということを以下少々書く。

 

 もはやホリプロのゴッド姐ちゃん(稼ぎ頭という意味)となってしまった綾瀬はるかであるから、主演作(っていうか主演以外の選択肢は〔キムタク共演などの例外を除けば〕ほぼない)ともなれば、各方面からのプレッシャーもただ事ではないレベルと思われ、ヘタな企画には参画できないのだと思う。興味があっても、いわゆる尖った(? マイナーうけする)企画には手が出ない。

 

 さて、「リボルバー・リリー」であるが、これは大正時代、関東段震災直後の混乱期、伝説の女殺し屋を綾瀬が演じる時代アクション巨編、といったモノで、もちろん綾瀬はるかありきのプロジェクトだと思う。一見、面白そうではあるが、難易度の高い企画ではないか。発想自体は「尖った映画」だと思う。ある種の挑戦だ。

 実際見てみると、リアリティのレベルがどのへんなのか、その微妙さが気になって、なかなか物語に没入できない。しかもその微妙な感じが、後半に進むにつれ多くなっていく。さらに、最初のアクションシーンまでが結構長く、テンポにも問題がある。とはいえ、その最初のアクションである列車のシークエンスと続く草むらでの格闘は素晴らしいと思い、この場面を見て、この映画、けっこう傑作なのでは、と大いに期待したのだった。

 

 ところが、どんどん映画は失速する。特にクライマックスは、バスの無い「ガントレット」のような銃撃戦で、生身の人間があのような場面に飛び込むのは、命がいくらあっても足りない。しらけてしまう。

 といったわけで、このシナリオで真面目なアクション大作はキツい。これは一言でいうと荒唐無稽なアクションコメディとして演出するのがよかったのではないか。綾瀬はるかの演技は、このままでよい。あの方は生真面目に演じれば演じるほど、面白くなるはず。アクションも文句なしに素晴らしかった。周りをもっとシュールなギャグで埋めれば無国籍&時代を超越した謎のアクション映画となったのではないか。それならば、リアリティのない設定がすべてギャグとなる。実際、映画の中での佐藤二朗のやり過ぎ演技はあきらかにギャグを狙っていたし、そもそもラストが一発ギャグだったではないか。あのラストのテイストを全編にちりばめるべきであったと思われる。

 しかし、そんな私の妄想は、しょせん馬鹿な考えにすぎない。すでに述べたように現在の状況で綾瀬はるか主演のふざけた映画は作れない。「リボルバー・リリー」はあまりに豪華なキャストで吃驚するが、この豪華さで、ふざけた映画を作れるわけが無い。微妙な失敗作なら、作ることが可能だ。

 続編がもし作られるのなら、無条件で観る!

 

リボルバー・リリー (2023年)139分

監督:行定勲

脚本:小林達夫行定勲

原作:長浦京『リボルバー・リリー』(講談社文庫)

撮影:今村圭佑

出演:綾瀬はるか長谷川博己シシド・カフカ、古川琴音、佐藤二朗吹越満内田朝陽板尾創路橋爪功石橋蓮司阿部サダヲ野村萬斎豊川悦司 ほか

天才黒人ピアニストとイタリア系あんちゃん、南部への旅「グリーンブック」

 物語は1962年のニューヨークから始まる。

 主人公トニーを演じるのは「ヒストリー・オブ・バイオレンス」「イースタン・プロミス」のヴィゴ・モーテンセン。トニーは、腕っぷしが強くって、ちょっと強面って感じで、ぴったりなキャスティング。教養が無くガサツで短絡的だけど、友達がいっぱいいて、奥さんと家族を愛する下町の気の良い兄ちゃんがそのまま大人となった感じ。

 一方のドクは黒人のくせにアレサ・フランクリンを知らず、フライドチキンも食べたことがないという変人の天才ピアニスト。

 失業中のトニーがドクに雇われ、運転手兼ボディガードとして、差別の残る南部へ演奏旅行に出掛ける、というのが主なお話で、いわゆるバディものであり、ロードムービーだ。しかも実話であるという。

 ま、こういうストーリーであるから、うまく描けば、非常に良い話になるわけだが、これが実によかった。

 監督は「メリーに首ったけ」など、ちょっとあくが強めのコメディのヒット作を連発していたファレリー兄弟のひとりであるピーター・ファレリーとのこと。なるほどユーモアに溢れており、実に楽しく見た。

 たぶん非常に評判の良い映画であると思われ、だから私がことさら付け加えて書くこともない。

 良い映画、傑作。

 

グリーンブック(2018年)130分

GREEN BOOK

アメリ

監督:ピーター・ファレリー

脚本:ニック・ヴァレロンガ、ブライアン・カリー、ピーター・ファレリー

撮影:ショーン・ポーター

出演:ヴィゴ・モーテンセンマハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニ ほか

初期スカーレット・ヨハンソンを見よう!「真珠の耳飾りの少女」

 一幅の絵のようだ、って表現があるけれど、そんな感じがずっと続く映画であった。

 ま、単に、「ゴーストワールド」を見て、そのころの「初期」スカーレット・ヨハンソンの映画を観てみようと思ってDVDを借りたのが「真珠の耳飾りの少女」だったわけで。そんなだから、はなから物語になど、たいして期待していなかったのだけど、まさにそういう映画だった。

 17世紀のオランダ、貧乏家庭の少女グリートは奉公へ出ることとなり、そこは画家フェルメール家であった。使用人としてさまざまな家の仕事をこなすグリートには色彩に関する才能があり、フェルメールは少女を助手のように扱い始める。そこで繰り広げられる、意地悪、いじめ、嫉妬、愛憎などなどを描いた映画であるようなのだが、ハイブロウすぎてよくわからないところもあったのだけど、なにも問題はない。ただただグリートを演じるスカーレット・ヨハンソンの美しさと、まるでフェルメールの絵画のような光りが美しい画面作りを、うっとりと眺めていればよい映画なのだ。

 絵画についてほぼ知識のない私でも、さすがにフェルメールの名前と代表的な絵画くらいは知っていて、それらの絵を連想させるシーンなどが出てくると、ああ、なんか動くフェルメールの絵のようだなあ、なんて思って見ていたわけであり、そんなシーンの中のスカーレット・ヨハンソンの存在感は圧倒的であった。なんと美しい造形の人間なのかスカーレット・ヨハンソン! 奇跡的といってよい。

 「バーバー」のビリー・ボブ・ソーントンとか、「マッチポイント」のジョナサン・リース=マイヤーズとか、スカーレット・ヨハンソンに出会うことでおかしくなってしまった人物を描くというジャンルの映画がいくつかあるが、コリン・ファースもその中のひとりであったか。

 

真珠の耳飾りの少女(2003年)100分

GIRL WITH A PEARL EARRING

イギリス

監督:ピーター・ウェーバー

原作:トレイシー・シュヴァリエ真珠の耳飾りの少女』(白水社刊)

脚本:オリヴィア・ヘトリード

撮影:エドゥアルド・セラ

出演:スカーレット・ヨハンソンコリン・ファーストム・ウィルキンソンキリアン・マーフィ ほか

筒井康隆断筆解除作「邪眼鳥」は難解

邪眼鳥

筒井康隆

新潮社

1997年4月25日初版発行

1300円+税

 

 筒井康隆氏の断筆解除後に出た短編集「エンガッツィオ司令塔」を先日再読した影響で、断筆解除作「邪眼鳥」が気になり、こちらも再読することにした。

 「邪眼鳥」の出版は、世間的にも、私にとっても、ちょっとした事件だった。ようやく筒井氏の断筆が解除され、表紙にもでかでかと「復活第一作!!」と謳われ、3年半ぶりに新作が読めるということで、前のめりで読んだ記憶がある。もう25年も前のことなのだなあ。

 「顔のある者がいない。」というかなり印象的な書き出し。そこでは、富豪・入谷精一の通夜が営まれ、残された若き美貌の未亡人に注目が集まっていた……、と凄く面白そうなのだが、その後の内容を全く覚えていない。なんでだっけ、と今回再読して、どんどん思い出してきた。難しいのだ。

 読み進めると、連続する文章の途中で場面や語りの視点や時代が変わったりするなどの前衛的手法が使われていたり、文章が異様に凝っていたり、物語も訳が分かんなかったりし、読み続けるために緊張を強いられるタイプの小説だ。難解、問題作、といってよいと思う。

 断筆中の比較的余裕のあるときに様々な工夫を凝らして構築された小説であるだけに、難解さでは筒井氏の小説の中でもトップクラスなのではあるまいか。25年前にまったく理解できず、それで記憶に残っていなかったのであろう。

 もちろん今回も歯が立たなかった。仕方がない。こうなったら、オドロオドロしい雰囲気の平野甲賀氏の装幀が素晴らしい、という、とてもわかり易いところを褒めるしかない。

周囲なんかと馴染まず毒づけ!「ゴーストワールド」

 10年くらい前に一度見ている「ゴーストワールド」だが、久しぶりに見てみようと思い、TSUTAYA豊岡で借りてきた。むむっ、こんなに面白かったっけ。見ているあいだ、ずっと心がザワザワする。素晴らしい。傑作だ。アメリカのコミックを原作とした2001年のアメリカ映画。

 

 高校を卒業したけど進学もせず就職もせず、街で悪ふざけをする女の子二人組が主人公。ゾーラ・バーチとスカーレット・ヨハンソンが演じている。

 この二人は、たちが悪い。

 周囲と馴染めず、まわりがみんな馬鹿に見えるという思春期にありがちな自意識過剰状態で、身近なダサイものとかダメなものを徹底的に笑おうという性格の悪さ。すでにすっかり笑われる側のオヤジ的立場にいる当方としては見ていて実に不快。

 と思っているうちに、彼女たちは出会い系新聞広告を出していた孤独なオタクのオジさんを標的にする。それが古いブルースのレコード収集家のスティーブ・ブシュミ! ふたりは、どう見ても世間から浮いているおじさんブシュミを観察し、からかい、笑いものにするのだが、その後、なぜか物語は、周囲に馴染めない元女子高生のゾーラ・バーチと、社会に馴染めないオジさんブシュミの切ない物語になっていく。

 スカーレット・ヨハンソンは相変わらず生意気そうで素晴らしいのだが、それ以上にゾーラ・バーチの訳の分からなさが衝撃的。

 周囲がダサく見えて馴染めない、といったことは、若者にありがちな「いやらしさ」であり、大昔かつて若者だった私にも覚えがある。っていうか「このセンスが分からぬ馬鹿どもとはお話にならん」といった感覚は恥ずかしながら未だに私の中にあり、それは何かのきっかけで露出し、「あ、おれ今、変な優越感を露呈させているのでは」と、逆に自己嫌悪に陥ったりする、といったことを、この歳になっても繰り返してはいないだろうか。ああ、恥ずかしい。

 それはともかく、この映画ではヒロインたちの周囲の人物たちも魅力的だ。コンビニの店員をやっている同級生や店の店長、上半身裸で店を訪れるヌンチャク男、廃線となったバスを待ち続ける老紳士などなど、ちょっと奇妙で面白い愛すべきキャラターたち。

 そういえば私は、特に何も起きない青春群像劇映画が大好きだった。「の・ようなもの」「フェーム」などである。そうか、この「ゴーストワールド」も同じ箱の中の映画ではないか。なにか引っかかって再見した「ゴーストワールド」だが、理由はこれだったのだ。私の中のベスト作品がひとつ増えた。

 

ゴーストワールド(2001年)111分

原題:GHOST WORLD

アメリ

監督:テリー・ツワイゴフ

原作:ダニエル・クロウズ

脚本:ダニエル・クロウズテリー・ツワイゴフ

撮影:アフォンソ・ビアト

出演:ゾーラ・バーチ、スカーレット・ヨハンソンスティーヴ・ブシェミブラッド・レンフロー ほか