本と映画の埋草ブログ

本と映画についてあまり有意義ではない文章を書きます

セゾン文化をつくった堤清二と家族。「堤清二 罪と業」

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堤清二 罪と業 最後の『告白』」
児玉博
文春文庫
2021年6月10日初版発行

単行本 2016年 文藝春秋

 1980年代、私は20代で、東京に住んでいた。だから、いわゆる〈セゾン文化〉に様々影響を受けた。西武百貨店の一連の広告も好きだった。
 その当時は景気が良く、若者リゾート文化みたいなものが流行り始める。スキーブームってのがあり、ホイチョイプロダクションが「モテるためにはこんなスポーツをして、こんな風に振舞うのだ」みたいなことを文章にし、我々はたいしてお金も持っていないのに、スキー場の食堂であまり旨くもない高いカレーライスとかを食べることになる。そんなわけで、日本経済の動向や財界などといったものにまったく興味が無い若者だったにも関わらず、堤義明、清二兄弟が、それぞれプリンスホテル西武鉄道、そして西武セゾングループを経営しており、とても仲が悪く、競い合っている、なんていう、ぼんやりしたイメージを、当時から持っていたわけであった。
 そのころ(つまり80年代で景気が良かった頃)、堤義明氏は世界一の金持ちであるとも言われており、こちらとしては勝手にリゾート開発会社のやり手社長といったイメージを持っていた。当時若者だった私は、日本経済はどんどん発展しており、それは永遠に続いていくというイメージを勝手に持っていた。
 友人と東京の街をブラブラ歩いていると、友人はとあるホテルを指差し、あれは百貨店の清二が経営しているホテルだ、なんて教えてくれる。清二は義明に対抗し、リゾートホテルを含むホテル経営などにも事業を広げているということだった。よくは分からないが、兄弟の確執といったようなお話らしい。
 そして80年代、私たちは、西武池袋本店のギャラリーで小林信彦脚本の映画の上映会(小林信彦トーク付!)を見に行ったり、六本木に出来たセゾン系映画館で日本未公開のウディ・アレン初期コメディの上映を楽しんだりした。車で箱根へ行ったり、豊島園でやたらクルクル回るスクリューなんとかというコースターに乗ったり、花火を見たりした。今から考えれば、セゾン文化を楽しみ、国土計画の進めるリゾート事業の末端を垣間見たのかもしれない(違うかもしれない)。

 それから30年とか40年とかの時間が流れ、書店の棚に「堤清二 罪と業」という文庫本を発見する。パラパラと眺めると〈解説〉糸井重里とある。経済人の評伝というものに、ほとんど興味が無いはずの私だが、つい手が出てしまったのは、〈不思議、大好き〉なセゾン文化にある種の懐かしさを感じたからか。
 そんなわけで、この本はあくまで〈堤清二〉という人物を描いたものであるためか、結局のところ、なぜ清二と義明の父である康次郎が、西武グループの正当な後継者に義明を選んだのか、良く分からなかったのであるが、それでも様々なエピソードが面白く、一気に読んでしまった。
 面白かったのは以下のような箇所である。若き東大生・清二が、後の読売新聞ナベツネ日本テレビ会長の氏家氏とともに共産党の同士として活動していたこと。三島由紀夫の盾の会の制服を、西武百貨店が作るエピソード。そして、かつての巣鴨プリズンサンシャインシティとして再開発する過程で、児玉誉士夫から連絡があり、清二が拘置所の跡を案内する話。
 っていうか、いままで、そもそも堤義明が兄で、清二は弟だと思い込んでいたが、清二が兄だったということを、この本で初めて知った。つまり、西武のことなどまったく知らなかったのだ。だから、清二の母・操がまだ正妻になる前の時代、清二が我が家は貧乏だったと回想したり、「私が義明のバックアップに回る」と父親と約束したりするのを面白く読んだ。清二が父から引き継いだのは〈破産しかけた場末の百貨店〉だけだったという、西武百貨店の低評価も、とても面白い。
 といったわけで、この本は清二側から見た堤家の物語なので、義明の評価がとんでもなくヒドイ。すなわち、彼は子どもで凡庸で能力が無い、と断定され、西武王国を引き継いだのは、誰がやっても同じだから、義明が引き継いだ、ということになる。この本に登場する義明の姿は、ほとんどバカ殿である。

 というわけで、この一冊だけで〈西武〉のさまざまが、わかるわけではない。厚い本ではなく、あくまで清二へのインタビューを元に、父や母、きょうだいについての記述されたものと考えるべきだろう。だから冒頭にセゾングループの破綻についての場面があるが、とてもあっさりしたもので、この本を読んだだけでは、セゾングループの経営の失敗についてはよくわからない。また国土計画や西武鉄道の解体に、晩年の清二が口を出したくだりは語られるが、それがその後、どのようになっていったかも詳細には説明が無い。
 カバー写真が清二と妹、父と母の古い写真であるのが象徴するように、この本はあくまで、清二が語る家族の物語なのだ。