本と映画の埋草ブログ

本と映画についてあまり有意義ではない文章を書きます

人は幸福なとき、けっして映画など見ない「カイロの紫のバラ」

 アメリカの古き良き時代、30年代を舞台に、映画への愛をファンタジックに謳い上げるハートフルなロマンチックコメディ!
 といった印象で語られるウディ・アレン1985年公開の映画「カイロの紫のバラ」であるが、私自身も公開当時に見たまま、そんなイメージで記憶していた。
 久しぶりに見たら、まるで違う映画だった。

 ウディ・アレンは、現実の世界を酷い世界だと言い続けている。たとえば「人生万歳!」という能天気なタイトルの2009年の映画の中でも、主人公は、この世は暴力に満ち、不条理なことがはびこり、努力が必ずしも報われるわけではないと繰り返し主張する。
 代表作「アニー・ホール」で語られる有名な台詞はこうだ。「人生には二種類ある。〈悲惨な人生〉と〈惨めな人生〉だ。〈悲惨は人生〉は想像もできない困難な人生だ。でも〈惨めな人生〉は誰もが経験する。ぼくは自分の人生が〈惨めな人生〉であることに感謝すべきなんだ」。ウディ・アレンの映画では定番の主張だ。
 酷い現実を忘れることが出来るから、そんなに悪い仕事ではない〈映画作り〉の仕事をやり続けているのだ、ともインタビューで答えていた。

 そんなわけだから、「カイロの紫のバラ」の主人公も、辛い現実を送っている。ミア・ファロー演じる主婦のセシリアだ。
 大恐慌時代のアメリカ。失業者で溢れているニュージャージー。彼女の夫も失業している。夫は粗暴で、妻のセシリアにもたまに暴力を振るうDV男だ。仕方なく彼女はウエイトレスの仕事をしている。
 しかし、彼女は映画好きで、夢見がちな少女のような女性で、どこか仕事も危なっかしくて失敗続き。
 セシリアは、やがて夫の浮気に怒って家出をし、仕事も失敗が重なり馘首になり、途方に暮れる。行き場のないセシリアは、お気に入りの映画「カイロの紫のバラ」を繰り返し見る。
 スクリーンの向こうでは、冒険家の男が、旅行中のニューヨークの上流階級のグループに気に入られ、華やかな世界で恋に落ちる、といった夢のようなお話が展開。
 セシリアは現実逃避でスクリーンに没頭している。
 と、スクリーンの向こう側の冒険家が、何度も繰り返し映画を観ているセシリアに気づき、好意を持って、スクリーンを超えてこちら側の世界に出てきてしまう…、といったあたりから、ファンタジーでドタバタな楽しいコメディになる。
 主人公のセシリアと、映画から抜け出した冒険家は逃避行。
 辛い現実を送っていたセシリアにとっては、夢の大冒険だ。
 一方、主要な登場人物が突如いなくなったスクリーン側は、大騒ぎ。「彼がいないと話が進められない」と大いに弱り、見ている観客も「話がちっとも進まない」と怒りだし、ついにはスクリーンの中の登場人物と観客が激論する始末。
 これは大変な不祥事だ、と映画会社のお偉方も事実を隠蔽しようとマスコミに働きかける。冒険家を演じていた男優は、こんなことが世間に知られるとキャリアに差し障るので、現場ニュージャージへ赴き、失踪した二人を捜し出す。
 そして、セシリアは突如、モテキに突入!

【以下、ネタばれ。ラストに言及しています】

 スクリーンの向こう側から抜け出してきた冒険家が、セシリアに愛を告白。
また、セシリアの適切な助言で演技に自信を持った男優(冒険家を演じていたから、つまりは冒険家と同一人物)も、セシリアに愛を告白。
 セシリアは架空の人物と、現実世界の男優と、二人から告白され、どちらかを選ばなければならなくなる。
 スクリーンの中の男と、現実の俳優。
 選ぶとなれば、現実の俳優しかない。
 スクリーンから抜け出た冒険家は、まったく現実に向いていない。ロマンチックでピュアだが、お金を稼ぐことも出来ないし、過酷な現実の汚い世界に対応できないからだ。
 セシリアに選ばれなかった冒険家は、悲しみ、スクリーンの中に帰っていく。スクリーン的には一件落着。やっとスクリーンの中は元に戻る。
 現実の男優を選んだセシリアは、彼とともに人生を歩むため、荷造りをして彼の元へ行くが、トラブルが解決した彼はさっさとハリウッドに帰ってしまっていた。
 現実を選んだ主人公は、現実に裏切られ、傷つくのだ。
 彼女は映画を観るしかない。現実を忘れるほか無いくらい傷ついている。
スクリーンを見つめるセシリアは、はじめ悲しそうであるが、映画に没入するにつれ、やがて夢の世界に入り込み、辛い現実と決別していくのだった。
というのがラスト。

 小林信彦の本にあった一節を思い出す。小説の登場人物の台詞だったのか、小林信彦自身の言葉だったか、あるいは誰かの引用だったのか覚えてはいないのだが、曰く「人は幸福なときには、けっして映画など見ない」。

原題:THE PURPLE ROSE OF CAIRO
1985年:アメリ
日本公開:1986年4月26日
上映時間:82分
配給:ワーナー映画

監督:ウディ・アレン
製作:ロバート・グリーンハット
マイケル・ペイサー
ゲイル・シシリア
製作総指揮:チャールズ・H・ジョフィ
脚本:ウディ・アレン
撮影:ゴードン・ウィリス
プロダクションデ
ザイン:スチュアート・ワーツェル
衣装デザイン:ジェフリー・カーランド
編集:スーザン・E・モース
キャスティング:ジュリエット・テイラー
音楽:ディック・ハイマン

出演:ミア・ファロージェフ・ダニエルズダニー・アイエロエドワード・ハーマン、ダイアン・ウィースト ほか