本と映画の埋草ブログ

本と映画についてあまり有意義ではない文章を書きます

筒井康隆断筆解除短篇集「エンガッツィオ司令塔」の強烈

エンガッツィオ司令塔

筒井康隆

文春文庫

2003年4月10日初版発行

524円+税

単行本2000年発行

 

 筒井康隆が断筆したのは1993年9月で、断筆解除は1996年末。作品の発表は翌1997年の「邪眼鳥」で、この単行本の発行は1997年4月。短篇集は、新潮社の雑誌に書いたものをまとめた「魚籃観音記」と、文藝春秋社の雑誌掲載作をまとめた「エンガッツィオ司令塔」が、それぞれ2000年に出ている。どちらも出てわりとすぐに読んだと思うが、もうすっかり内容は忘れていて、なかでも北朝鮮の首領様(当時であるから金正日)をモデルとした「首長ティンブクの尊厳」という作品が、すでに題材からヤバくて、そもそもこんな小説が発表されてよいのかとワクワクして読んだはずだが、まったく内容を覚えておらず、もう一度読んでみようと思った次第。といったわけで、久しぶりに断筆解除直後の短篇集「エンガッツィオ司令塔」を読んでみた。

 10本の短篇が収められ、うち5本は断筆中に執筆したものであると「あとがき」にある。つまり、この短篇集に入っている小説は、筒井康隆が書きたくて書いたものであるといえるのではないだろうか。

 しかし、実際に読み直してみて感じるのは内容の強烈さだ。過剰なまでの刺激的内容は、サービスではなく、書きたいように書いたということなのだろうか、あるいは、過剰なサービスをしたいという、筒井の心の叫びなのだろうか。っていうか、この過剰さは果たしてサービスなのか。

 冒頭に載っている表題作「エンガッツィオ司令塔」がヒドすぎる。

 お金持ちの美しい恋人に宝石をプレゼントするために、貧乏学生が新薬の被験者を掛け持ちし、頭と身体がどんどんおかしなことになっていくというドタバタで、事態はエスカレートしてエログロを通り越しスカトロというか……。正直なんでここまで、と思いながら読むことになるのだが、さきほども述べたように断筆中の執筆だから、状況的には筒井さんは書きたくて書いているのだ。

 巻末の解説は「比較文学者」という肩書の小谷野敦氏で、筒井氏の下品について、多くの文学者などの名を上げつつ論評しており、私にはよくわからぬものの、やはり筒井氏の下品には、文学的文化的な意味や価値があるのだろう。

 といったわけで、ずいぶん前に読んだきりだった「エンガッツィオ司令塔」すごかった。で小説のシンガリはこの短篇集を再読するきっかけとなった北朝鮮のあの方を題材にした「首長ティンブクの尊厳」、日本のテレビ局のナレータだった女性が洗脳された後に処刑されるシーンが凄まじい。この小説を韓国語訳で出版したいとのオファーが筒井氏に届いたが、これをかの国の方々に読まれるのはさすがに恐ろしいと筒井氏でさえ感じたとのことで断ったと何かの文章で読んだ。

 断筆解除についてのインタビューも載っていて、大変興味深い短篇集だと思う。

 ヤバいドラッグ好きの作家と対談をした主人公が、編集者とともに追いかけられる様を描いた「猫が来るものか」が特に面白かった。意味なく力士に追いかけられる恐怖を描いた傑作「走る取的」のドラッグ版か。