本と映画の埋草ブログ

本と映画についてあまり有意義ではない文章を書きます

岡田准一の凄腕殺し屋コメディ「ザ・ファブル」

 かっこいい俳優として岡田准一を認識したのは、たぶんクドカンのテレビドラマだ。映画版の「SP」を見た際にアクション俳優として記憶に刻んだのだと思う。2022年の映画「ヘルドッグス」でも迫力の殺しっぷりで、たいへんよかった。

 そんなわけで、コメディ「ザ・ファブル」は、気軽に見られ、かつ岡田准一のアクションも凄そうだから、ヘヴィーなものは見たくない今夜観るのによいのでは、とDVDを借りた。

 伝説の殺し屋「ファブル」が、ボスから一年間誰も殺さず普通の一般人として生きよと命じられ、大阪で生活する様子を描くお話だ。

 岡田准一はコメディ演技もうまいし、共演の方々も皆よい。

 狂犬的なチンピラを柳楽優弥が楽しそうに演じていて、こいつがヒロイン的な山本美月をAVに出演させようと画策し、家族を巻き込む姑息な手段で追い詰めていくのだが、それを岡田演じる「ファブル」がどのように解決するのかなあ、と楽しみに見ていたら、別の大きな事件の流れがこのトラブルをぶち壊してしまう、といったストーリー展開にちょっと難を感じた。とはいえ、ま、そんなこと言っても仕方がないのだ。十分楽しめた。続編があるようなので、近く、見てみようと思う。

 原作マンガもすごく面白いとの評判を目にするが、私にはもはや長大な漫画原作に手を広げる気力が無い。たぶん読まないと思う。自分が歳を取ったと実感するのはこのような気力の減退を感じるときだ。あちこち痛い。

 

ザ・ファブル(2019年)123分

監督:江口カン

原作:南勝久ザ・ファブル』(講談社ヤングマガジン」連載)

脚本:渡辺雄介

撮影:田中一成

出演:岡田准一木村文乃山本美月福士蒼汰柳楽優弥向井理モロ師岡、六角精児、光石研佐藤二朗安田顕佐藤浩市 ほか

伝説のその後をいかに描くか「ゴーストバスターズ/アフターライフ」

 オリジナルの「ゴーストバスターズ」(1984年)は特大の大ヒットだった。なぜあれほどビル・マーレイに人気があったのだろうか。不思議だ。レイ・パーカーJr.の主題歌も大ヒットで、有名人がいっぱい出るミュージックビデオもよく目にした。シガニー・ウィーバーのセクシー演技も大評判。私は若く、日本の景気も良く、明るい80年代を象徴する映画といってよいと思う。時は流れてあれからもう40年近く経ったのである。感無量。私は老い、日本の景気は悪い。

 続編「ゴーストバスターズ2」は1989年公開で、今回DVDで見た「ゴーストバスターズ/アフターライフ」はその「2」の続編にあたるというわけか。

 人気シリーズであるから、もう一本、2016年に女性版の「ゴーストバスターズ」もあり、こちらも以前観て、よく覚えていないが、楽しかったような気はしている。

 今回の「アフターライフ」の注目ポイントは、監督を、オリジナル版のアイヴァン・ライトマンの息子であるジェイソン・ライトマンが務めているという点だ。

 ジェイソン・ライトマンは小さなコメディを描く監督で、「JUNO/ジュノ」では若すぎる妊娠を、「マイレージ、マイライフ」では全米を飛び回って馘首を言い渡す奇妙な職業のクールな独身主義者を、「ヤング≒アダルト」ではイケてた過去に囚われ大人になり切れない女性、といったような、なんだこの話、こんな題材でコメディ映画が作れるのか! といった面白い映画を作るので、好きな監督なのだ。

 父親は能天気なメジャーコメディを作り、息子はインディペンデントな深みのあるコメディを製作というのは、なんだかおもしろいなあ、と思っていたら、なんと人気作「ゴーストバスターズ」を手掛けるという。親子とはいえ、まったく作風が違う気がするが、大丈夫なのか。

 よくよく考えるとオリジナル版「ゴーストバスターズ」はあまり内容が無い、と言ったら失礼だろうか。陽気なバカ騒ぎを楽しく眺めるイベントムービーという感じ。さて、ジェイソン版の続編は如何に!

 といったわけで「ゴーストバスターズ/アフターライフ」は明るいホームドラマとして幕を開ける。貧乏なシングルマザーが二人の子供ともども部屋を追い出され、ド田舎の一軒家に住まざるを得なくなる。そのド田舎の一軒家というのは、シングルマザーにとって父の家であり、先日亡くなった父から引き継いだ物件。お金がないからここしか住むところが無い。父は元ゴーストバスターズであり、シングルマザーは父に捨てられたと思い傷ついていた。

 この母には前述のように二人の子があり、兄は15歳くらいで、妹が12歳くらい。この映画の実質的な主人公は、妹のフィービーだ。彼女は眼鏡をかけたオタク少女で友達が出来ない。だから、初めて学校に行くシーンでの母親のアドバイスは「自分らしさを出さないでね!」

 しかし、学校にはYouTuberみたいなヘンな男子がいて友達になったり、兄貴の方は街に着いた途端女の子に一目ぼれしたり、といった騒動が描かれる。やがて少女フィービーは自分の祖父が伝説のゴーストバスターズだったことを知り……、という流れなのだけど、私の好みはホームドラマ的な前半で、後半の「ゴーストバスターズ」的騒動は、やはりニューヨークを舞台にしたオリジナル版に軍配が上がるのではないかと感じた。

 当然1984年の映画のような大ヒットはしなかったようだけど、ドラマを楽しめ、お化け騒動もあり、我々の世代には懐かしいキャストも登場するというわけで、十分楽しめる映画だった。めでたしめでたし。

 

ゴーストバスターズ/アフターライフ(2020年)124分

原題:GHOSTBUSTERS: AFTERLIFE

アメリ

監督:ジェイソン・ライトマン

製作:アイヴァン・ライトマン

脚本:ギル・キーナン、ジェイソン・ライトマン

撮影エリック・スティールバーグ

出演:キャリー・クーン、フィン・ウォルフハード、マッケナ・グレイス、ポール・ラッド ほか

筒井康隆断筆解除短篇集「エンガッツィオ司令塔」の強烈

エンガッツィオ司令塔

筒井康隆

文春文庫

2003年4月10日初版発行

524円+税

単行本2000年発行

 

 筒井康隆が断筆したのは1993年9月で、断筆解除は1996年末。作品の発表は翌1997年の「邪眼鳥」で、この単行本の発行は1997年4月。短篇集は、新潮社の雑誌に書いたものをまとめた「魚籃観音記」と、文藝春秋社の雑誌掲載作をまとめた「エンガッツィオ司令塔」が、それぞれ2000年に出ている。どちらも出てわりとすぐに読んだと思うが、もうすっかり内容は忘れていて、なかでも北朝鮮の首領様(当時であるから金正日)をモデルとした「首長ティンブクの尊厳」という作品が、すでに題材からヤバくて、そもそもこんな小説が発表されてよいのかとワクワクして読んだはずだが、まったく内容を覚えておらず、もう一度読んでみようと思った次第。といったわけで、久しぶりに断筆解除直後の短篇集「エンガッツィオ司令塔」を読んでみた。

 10本の短篇が収められ、うち5本は断筆中に執筆したものであると「あとがき」にある。つまり、この短篇集に入っている小説は、筒井康隆が書きたくて書いたものであるといえるのではないだろうか。

 しかし、実際に読み直してみて感じるのは内容の強烈さだ。過剰なまでの刺激的内容は、サービスではなく、書きたいように書いたということなのだろうか、あるいは、過剰なサービスをしたいという、筒井の心の叫びなのだろうか。っていうか、この過剰さは果たしてサービスなのか。

 冒頭に載っている表題作「エンガッツィオ司令塔」がヒドすぎる。

 お金持ちの美しい恋人に宝石をプレゼントするために、貧乏学生が新薬の被験者を掛け持ちし、頭と身体がどんどんおかしなことになっていくというドタバタで、事態はエスカレートしてエログロを通り越しスカトロというか……。正直なんでここまで、と思いながら読むことになるのだが、さきほども述べたように断筆中の執筆だから、状況的には筒井さんは書きたくて書いているのだ。

 巻末の解説は「比較文学者」という肩書の小谷野敦氏で、筒井氏の下品について、多くの文学者などの名を上げつつ論評しており、私にはよくわからぬものの、やはり筒井氏の下品には、文学的文化的な意味や価値があるのだろう。

 といったわけで、ずいぶん前に読んだきりだった「エンガッツィオ司令塔」すごかった。で小説のシンガリはこの短篇集を再読するきっかけとなった北朝鮮のあの方を題材にした「首長ティンブクの尊厳」、日本のテレビ局のナレータだった女性が洗脳された後に処刑されるシーンが凄まじい。この小説を韓国語訳で出版したいとのオファーが筒井氏に届いたが、これをかの国の方々に読まれるのはさすがに恐ろしいと筒井氏でさえ感じたとのことで断ったと何かの文章で読んだ。

 断筆解除についてのインタビューも載っていて、大変興味深い短篇集だと思う。

 ヤバいドラッグ好きの作家と対談をした主人公が、編集者とともに追いかけられる様を描いた「猫が来るものか」が特に面白かった。意味なく力士に追いかけられる恐怖を描いた傑作「走る取的」のドラッグ版か。

インディ・ジョーンズ・パロディとしての「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」

 映画を観て、単純に「ああ面白かった」と幸福を感じた記憶No.1は1984年の「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」だ。確か新宿かどこかの比較的大きな満員の映画館で観た。娯楽映画であるから劇場は適度にざわついており、観客は大いに笑い且つ驚いていた。一作目「レイダース」と同様パラマウントのマークからおどろおどろしく始まると見せかけてのミュージカルオープニングに心を掴まれた。あとはもう解毒剤の争奪戦からトロッコまで「楽しい」の連続だ。満員なので私の両隣にも客が座っていて、それは左右どちらも男女カップルで、中盤、突如悪者が姿を現すショックシーンでは軽い悲鳴とともに私の両隣の女性が左右それぞれの連れの方へ凭れていき、ひとりで観ていた私の周りの空間がちょっと空く、というコントみたいなことが起こったと記憶している。

 以上のような「私とインディ・ジョーンズの思い出」みたいな話を延々と書けるほど、私はこのシリーズが好きなのである。

 

 といったわけで「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」をシネプレックス旭川の一番大きなスクリーンがある劇場No.2で観た。

 列車の中でのナチ軍団とのお宝の奪い合いから始まり、アポロ11号のパレードでの追いかけっこなどなど、どれもアイデアとユーモアにあふれたアクションで楽しかった。今回は、監督がスピルバーグではなく、これがかえって「スピルバーグとルーカスのインディ・ジョーンズ」パロディみたいになって、集大成感が出たのではないかと思われる。本人たちならここまであからさまにはできないでしょ、恥ずかしいから。

 といったわけで、ナチとのお宝争奪というメインプロットは「レイダース」、強欲な女性と生意気な少年との3人組での冒険はまんま「魔宮の伝説」だ。各所にオマージュ的シーンが挟まれ、光の当て方などの画面作りがスピルバーグっぽいと感じられるところがけっこうあって、スタッフみんなで「スピルバーグごっこ」をやっている楽しさが感じられた。

 それにつけても、これにてインディ・ジョーンズ・シリーズは見納めとなるとのこと。まあ、5作品あるわけだし、たくさん作ればよいというものではないから、完結を大いに喜ぶべきと思う。

 

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル(2023年)154分

原題:INDIANA JONES AND THE DIAL OF DESTINY

アメリ

監督:ジェームズ・マンゴールド

製作総指揮スティーヴン・スピルバーグジョージ・ルーカス

脚本:ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワースデヴィッド・コープジェームズ・マンゴールド

撮影:フェドン・パパマイケル

音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:ハリソン・フォードフィービー・ウォーラー=ブリッジアントニオ・バンデラスマッツ・ミケルセン ほか

どのように見たらよいのか良くはわからぬ「プロミシング・ヤング・ウーマン」にシビれる

 キャリー・マリガンは好きな女優だ。だから、見逃していた「プロミシング・ヤング・ウーマン」をDVDで見た。わざと酔ったふりをして、お持ち帰りされ、いよいよというところで鉄槌を下すという、危ない(?)女性をキャリー・マリガンが演じている。

 ちょっと前の時代のアングラアート映画を思わせる画面作りが随所にみられるのが面白い。特にタイトルの出るところ。チープな手書き文字でタイトルが出て、裸足で歩くヒロインが変な迫力。あるいは中盤で、ヒロインがブチ切れて、暴言を放った男の車をボコるシーンでの、回転するカメラと通過する貨物列車のショットにシビれた。

 若い女性監督の長編一作目というこの映画、扱っているテーマは非常に重く、正直、男性の私としては少々ツラいものもあるが、あくまでミステリーサスペンス映画としてのルックを保っているところに好感を持つ。私は真木よう子が主演した「さよなら渓谷」を大きな感動を持って観たが、なかなかもう一度見ようという気になれない。その点、この「プロミシング・ヤング・ウーマン」は随所にPOPなセンスがあって(もしかしたら単に外国の映画だから、ドメスティック度数が低く感じられるせいかもしれないが)、例のシーンのポップなナース姿のキャリー・マリガンはふたたび見たい。あれって「キル・ビル」のダリル・ハンナを思い浮かべるよね。

 とはいっても、ミステリーだからといったって、これでよいのかというラスト近くの展開は衝撃だ。けっして楽しい映画ではない。

 ひとことで説明すると「必殺仕置き人女性版」といったような展開の映画であるが、バイオレンスシーンもセクシーシーンもほとんど無い。もっとやれ、と思ったのだけど、そういったシーンが無いのは、これは恐らく意図的なものなのだろうと思う。

 

プロミシング・ヤング・ウーマン(2020年)113分

原題:PROMISING YOUNG WOMAN

イギリス / アメリ

監督:エメラルド・フェネル

脚本:エメラルド・フェネル

撮影:ベンジャミン・クラカン

出演:キャリー・マリガン、ボー・バーナム、アリソン・ブリークランシー・ブラウン ほか

埋草日記◎労働力調査ふたたび

先月、総務省の「労働力調査」というのに答えてくれと、町内の知らない方から依頼を受け、ネットで回答した。この「埋草日記」にも以前その経緯を書いたが、なんと、また来た。

前回のは5月分で、今度は6月分を報告せよとの要請である。え、また? と驚いた。

私の労働力に関する情報が、この国にはそれほど必要なのだろうか。疑問だ。なんの役に立つのか?

一回目の回答後で二度目の依頼の際、お礼として、ふわふわしたガーゼのハンカチを頂けたのは、実のところ正直とても嬉しかった。そんなわけで、二度目の回答をした直後、郵便受けの中に「総務省統計局」のネームの入った封筒を発見し、これは返礼の品だ! と震える手で封筒をバリバリ破ると中には一枚の紙が入っており、なんたらかんたらと定型の文言で礼が述べられ、「また、来年の同じ月にも調査をお願いすることになります」とあり「略儀ながら書中をもってお礼申し上げます。総務省統計局長」とのことで、でっかい印が印刷されていた。紙一枚かい! モノ無いんか!

そういえば、数年前に事情があって断れず、国勢調査の調査員をしたことを思い出した。その際は作業終了後、総務大臣から礼状をもらった。当時の大臣は高市早苗で、「うわあ、高市早苗の名入りの礼状をもらったのか、おれは」と驚いた。あれ、どこにしまったんだっけなあ。

埋草日記◎山下達郎のラジオでの発言を聴いたり、竹内まりやのベスト盤を聴いたり

山下達郎が、松尾氏という方に巻き込まれる形で、ジャニーさん性加害騒動に言及せざるを得なくなり、事務所の発表によると「大切なご報告」がラジオ番組「サンデーソングブック」で行われるとの告知。たまにラジオを聴く程度の熱心ではないリスナーの私だが、これは聞いておかねばと、リアルタイムでは聞き逃したのでradikoで聴いた。「大切なご報告」などと煽るから、山下達郎が極端な意見を言うのかも、と思わされたが(ジャニー許せん事務所は閉めるとか、もう引退するとか)、聞いてみると、ほとんど内容は無かった。まあ、そうだよね、と思う。山下達郎ほどのセレブが、いまさらなんで火中の栗を拾うような発言をするものか。ジャニーさん云々というより、松尾氏に対し怒っていたように感じた。その後ネットを見ると、この「ご報告」によって炎上騒ぎになっているようだけど、言葉尻を攻めたって、仕方ないと思うのだけど。どんなことでも正義(?)の発言する人がネット世界にはいるようだ。山下達郎が何を発言したとしても、ある程度はどうせ叩かれたような気がする。

といったことと無関係に、竹内まりやのベスト「Expressions」3枚組を聴く。竹内まりやの歌声はとても心地よく聴き続けられる。それは、カレン・カーペンターの歌声を聴くと、たいていの人がうっとりとするのと同じ理屈によるのではないか、と思わせる。といっても、そんな理屈など私にはわからないが、とにかく竹内まりやの声は人を幸福にする。